山口伸美『日本語の歴史』
ええと、今日はずいぶん涼しかったよ。体力的にはぐったりだけど……。
「まぁ、ここ最近元気な時ってないよなぁ。幸福は自分の心が決めるとは言え、どうも最近調子が良くない。」
「客観的に見ればさほど極端なストレスに晒されていない。今までの様々な過大なストレスと比較すればな。だが、主観的にはどうだかな。」
夢も希望も、これから何かが良くなると言う見込みも何もないよ。
たぶん、仕事を辞めても続けても精神的に疲弊し続けて、最終的には生きる気力すらなくなると言うことは分かっているけど……、いったん仕事を辞めて休んだ方がいいと思うよ。今は……どういう仕組みかわからないけど、行きたくなくて仕方ないし、気力も枯渇しつつあると言うのになんとなく働き続けているけど、明日あたり突然心的エネルギーが切れるんじゃないかな。はっきり言って、行っても面白くないし、不快なことばかりで、給料があってもあんまりお得感がなくなっているのです。
「まぁ、これまで頑張ったし、そろそろいいか。基本的に人間関係で終わっているというか。」
合わない人には会わなければいいよ。別にルニたちがやめてもあっちは何にも困らないだろうから遠慮なくやめればいいよ。
代わりはいくらでもいるのです。クレームが多いからって仕事の日数を減らされた予備役の御老人がいくらでもいるのです。
断る技術がない人は、自分がいないと職場がダメになると思いこんでいるけど、実際は一人ぐらいいなくてもなんてことはないよ。
さて、今日は『舞勇伝キタキタ』の動画を見たよ。単行本に入ったものについては非表示だけど、それ以外はちゃんと見られるのです。
舞勇伝キタキタ 第1蓑 (BGMとSE付きですぞ~!)
去年あたりからやっていたみたいだけど、知らなかったよ。またアニメ化でもするのかな………。相変わらずシュールレアリズムなのです。
「ニコニコ動画がずいぶんいい宣伝になっている様子。」
そうだね。今回はグルグル成分が少ないけど………、シュールさの濃度はかなりのものだよ。キタキタおやじは昔と比べるとなんとなく頭身が伸びたかな。結構筋肉質なのです。
「HP1650という、HPが判明している作中キャラの中では最強で、2位は190ぐらいだったっけ?ラスボスの一撃にも耐えられる異常な耐久性。」
ある意味………ネ申だね。人間を超えた超越的な存在なのです。
MMDのキタキタ後継者セットVer1.0が出てから結構ブームなのです。ええと、ダンス用のモーションデータと腰蓑と冠のセットらしいよ。アイマス関連とかボカロ関連とかBASARA関連とか………シュールだよ。
「ギップルとか前作のキャラクターは今のところ一切出ないわね。グルグルの終了後何年後の世界なのかもはっきりしないわ。」
もしかしたら………、前作の出来事が歴史の教科書で出る世界と言うから、数百年後かな。となるとキタキタおやじことアドバーグ・エルドルは………人間を超えた長命種なのです。ある意味キタキタ様の化身だよ。
あとは……昼ぐらいに先日予約した本を取りに行ったよ。
山口伸美『日本語の歴史』(岩波新書 2006年)
なのです。
ええと、ざっと全部読んでみての感想だけど…………、Wikipediaと比べると内容とか記述とか…………薄い気がするよ。平安時代あたりの文体のヴァリエーションあたりは詳しそうだったけど、他はだいたい知っている内容ばかりかな。
「まぁ、岩波新書って紙面が200p前後でかなり限られているし、長大な日本語の歴史をこれだけの紙面で語るのはかなり無理がある行為だから、時代に区切って、古代は文字と記述形式、中世は文法史、江戸時代は語彙史、明治以降は言文一致運動についての概説とテーマを区切っているから、まぁ、薄さ加減を感じるのは否めないかもしれない。そういう人は全7巻の『日本語の歴史』とか『近代語研究』とかその辺の詳しい資料を読むべきだと思う。なんとなく日本語の方が濃い言語なのにこの記述だけだと、たった20年ぐらいのアルカ史のほうが濃く感じたりする。」
ええと、特に新生史とか制アルカ史は原資料で読んでいるから……、概説より重い感じがするのは確かだよ。
ええと、こういうものはちゃんと新知見を書かないといけないんだけど、そんなに多くはないよ。
起源に関する話はほぼなくて、だいたい基層に南洋系の言語があって、そこに北方のアルタイ語族の文法が適応されて日本語になったと言う、割と有力な仮説の一つが提示されただけだよ。
文字関連では万葉仮名とか甲種乙種の音声区別があって、母音数が8あったとか、ハ行はpaで発音したとか割と有名な話なのです。
最初の方は漢文をそのまま使っていたけど、それを次第に漢字の音だけを借りて、日本語を書き記すようになったというあたりもWiki通りのよく知られた話なのです。このあたりは韓国でもベトナムでもあったし、楔形文字圏のアッカド語とか古代バビロニア語でもよく見られる現象なのです。筆者は訓読という、漢字に大和言葉の発音を適応する「山」を「やま」と読む現象を、韓国などほかの国には見られない特異な現象と扱っているけど、本当にそうかな?確かに韓国では訓読みパターンは珍しいけど、「一」をilと読んだりhanaと読んだりするんじゃないかな。それに楔形文字でいうと、字形はシュメール語の単語なんだけど、敢えてアッカド語の単語の音をあてはめて当て文字的に読むパターンもあるし、トルコ語などのアラビア文字文化圏でも、アラビア語の単語のスペルを綴るけど、読みはトルコ語の単語の音というパターンもあるよ。だから、日本の先人に取り立ててすごい独創性とか特異さや異様さがあったわけじゃないのです。
「詳しくなればなるほど、珍しいと感じることってなくなるわねぇ。=-ω-= 日本語の漢字と仮名の入り混じる記述形式は珍しい気がするけど、表意文字と表音文字が入り乱れるのはアッカド語や古代エジプト語だってそうなのよね。別の旧表意文字の文化圏の様子を見ると驚かなくなるわ。」
寂しい話だよ…………。
あと文体のバリエーションだけど、まず中国の漢文をそのまま使うフォーマットがあるよ。韓国でもベトナムでもあるエリートのフォーマットなのです。語順がS(M)VOだし、前置詞を使うし教養のない人には読みづらいのです。
そういうことで、古くから日本語と同じ語順にして、天皇等の命令を伝えるフォーマットとして、宣命文というものがあるよ。語順は日本語の通りで、「をこと点」もしくは小さな万葉仮名やカタカナが併記されて、上からちゃんと読めるようになっているのです。
他には漢式和文というフォーマットがあるよ。ところどころ返り読みがあるものの、日本語としてちゃんと読めるし、助辞や敬語の漢字も入っているのです。たしか、大化の改新の後に貴族が政治に参加して色々意思疎通するために生まれたフォーマットらしいよ。必要な教養は漢文よりはマシかな。これは送り仮名はほぼないよ。
あとは仮名交じり漢文というものがあってそれが一番メジャーらしいのです。語順は漢文と同じだけど、カタカナの送り仮名が豊富に入っていて読みやすいようにしてあるよ。返り点を追加すれば、いわゆる古文の時間に習う漢文がこのフォーマットだよ。『今昔物語』あたりだと語順が限りなく日本語に近くなって、結構普通に読めるようになったらしいよ。
「この作者の専門は『今昔物語』らしい。やたらと宣伝トークがある。」
「いわゆる有名な説話集ですね。カタカナが混じるようになって万葉仮名では不可能であった長大な文学が可能になったと言うことらしいですよ。文字を書く労力が多い時代は長い物語は口伝だったようです。」
口伝って結構うろ覚えだよね…………。もうvaste翻訳から2年ぐらいたっているから内容をそらんじて話すとなると、ディテールが変わっていたり、話の順序が前後したりおかしいことになりそうだよ。
あと、主に女性がつかったというひらがなの文学だけど…………、源氏物語とかもひらがなが多くて、漢字がところどころあると言うフォーマットらしいよ。こういうものだと和語とか、情緒的な言いまわしの表現が楽でいいらしいよ。ただ、漢文ほど論理的な記述にはまだ向かない段階だったみたい。日本語が情緒的記述から論理的記述に耐えるフォーマットに代わって言ったのは鎌倉・室町期の武士の時代なのです。この時代に文と文をつなぐ接続詞が多用されるようになったり、「~が」みたいな格標識が発達して多用されるようになったのです。
「紀貫之はネカマ文学の元祖ね」
= ・д・=………
うん。
「気になる間だわ。=-ω- =」
ええと、中世の方は主に学校で習ったような平安時代の「古典文法」が崩壊していくという文法史の話だよ。
ええと、「ぞ、なむ、や、か、こそ」などの係り結びだ鎌倉時代あたりから徐々に崩壊していったのです。現在では残ってないよ。
係り結びは「男ありけり」が、同意を求めて強調するような感じで「男なむありける」とか、直前の語を指定して強調する「男ぞありける」とか、ほかでもないという意味を込めて「男こそありけれ」みたいにしたり、強調してさらに文末とか節の末尾の動詞を終止形から連体形・已然形に変更するものだよ。疑問や反語チックに「男やありける?」「男かありける?」みたいなのもあるよ。
こういう係り結びは結構情緒的な文章を表すのには都合がよかったらしいよ。
でも、平安時代末期あたりから「行きつ」と終止形で終わるべきところを「行きつる」といって、なんか情感や余韻を表す用法ができて、だんだんとその用法が一般的な時にも広まり、終止形が連体形に統合されたのです。「修行す」は今では連体形と同型の「修行する」だよ。
こういう風に終止形と連体形の形状があいまいになってくると、連体形と結合する、「ぞ、なむ、や、か」が次第に衰えて行ったのです。特に、「女房がね、○○なんですよ」的な、同意を求めて柔らかく強調する「なむ」、鎌倉時代の字形では「なん」が滅びるのは速かったらしいよ。武士にとってはこういう表現はなんかうっとうしかったんじゃないかな?「ぞ」、「こそ」も別に直前の語を強調する用法じゃなくて、動詞の前に来て、文章全体を強調するようなそんな形骸的な表現に代わって言ったのです。
あとは、前述の「~が」などの論理的な格標識が発達して、「~がこそ」みたいな表現はなんか違和感があるし、「が」でトピックまたは主格が明示できるんだから、係り結びの語彙で強調する必要がなくなってきたのです。情緒的な貴族の言語から、論理的な武士の言語に、鎌倉・室町期は大きく変わっていったのです。
そういうことで、「こそ」を除く係り結びの法則は室町時代末期までにはことごとく崩壊していったらしいよ。
「こそ」も江戸時代前期を過ぎると消滅したらしいのです。
「まぁ、ぶっちゃけ要らないしなぁ。現代人の感覚からすると。「~こそあれ」みたいな感じで化石的に残っているけど、そのうち消えるっぽい。」
あと江戸時代は近代語の誕生という感じだったよ。だいたいこの時代になると洒落本などの庶民の本の話し言葉を分析すると現代の話し言葉と大差ないレベルになってるよ。文化の中心が京都から江戸にうつったのが大きいらしいのです。
「いわゆる下町言葉と。[ai]が[e:]になるパターンは現代より多く大工を[de:k]と発音したり、商売を[ʃo:be:]と発音したりする。今でも形容詞では、うまいを[ume:]といったりするけど、名詞ではあんまり使わないかもしれない。」
お前[ome:]とか手前[teme:]とか………、aeのものならあるんじゃないかな。粗野な発音だからしないけど。
あと、下町言葉と武士の話す山の手言葉ではそれなりに乖離があるよ。武士の方が現代の標準語に近い言葉だよ。
ええと、明治時代の言語政策だけど、江戸時代は藩ごとに移動が制限されていて、方言がすごくて意思疎通が難しかったんだけど、中央集権国家として、日本中で意思疎通できるようにするためにいろいろ思い悩んだらしいよ。公的な話し言葉の統一なのです。
政治的に言うと、薩長勢力が強いから薩摩方言や長州方言を標準語にしようと言う話もあったけど、どこか特定の藩の言葉を共通語に採用すると他の藩の出身者が黙っていないのです。この辺は、この問題があった19世紀後半とほぼ同期にブームだったヴォラピュク・エスペラントなどの人工言語の国際共通語運動でも課題となった問題だよ。だからと言っていちいち人工言語を作って採用させるのも教育制度も整っていないような新興国家には無理な話なのです。そういうことで、当時もっとも教養ある人に通じやすかった東京の山の手言葉、旧江戸の武士の言葉を元に標準語にすることに決まったのです。このあたりは現代の世界で、結局現実的に広まっていて教養ある人に通じやすいデファクトスタンダードな言語が共通語に選ばれるという事情と同じだよ。
「江戸時代と言うといわゆる国学の発展で漢字伝来前に作られたと言う日本古来の文字の形を想像して、創作するという神代文字ブームがあったけど、このあたりの流れって、西洋であったアダムの言語復元運動の流れと似てね?時代的にも17世紀だし。西洋で人工言語ブームがあったのと同時期に日本でも人工文字ブームがあったと。もっとも日本の人工文字はほぼハングルのパクリみたいなものばかりだったけど。」
うん…………神代文字って微妙だね。システム的にはデーヴァナーガリー文字とかハングルっぽい結合音節文字ばかりだよ。時代の符合と言うと……、どっちにしても絶対王政というか…………、国が一つにまとまって、ラテン語・漢文のような古典教養語ではなく自分自身の言語でもずいぶん複雑なことがいい表せるようになって、自分の「国」について誇りを持ち始めた時期かな。
小さな領国単位でなく大きな単位の国になったというところとか、統一圧力とか………共通点はその辺かな。旧来の古典語の弱体化もあるかもしれないけど。あとどういう原因かわからないけど、キリスト教でも日本でも自分たちのルーツに深い関心が向いた時期というのもあるよ。
さて、西洋で人工言語ブームが起こった19世紀後半だけど、日本では言文一致運動というこれまた人工言語運動っぽいものが起こったよ。
このころになるともう、話し言葉と書き言葉の乖離は深刻なものになっていたし、国民国家で富国強兵を目指すためには、国民誰もが文章の読み書きができないとならないと言うことで、教養あるごく一部の人にしかわからない古典文法に基づいた書き言葉じゃなくて、もっと話し言葉に近いような書き言葉を作ろうという運動が起こったよ。まるで西洋のエスペラント運動なのです。
「国民国家の樹立っていうのがキーワードなんだろうなぁ。まぁ、日本はただ一国の小規模な話だけど、西洋から見れば日本語族という多様な言語の集合体から共通の書き言葉をつくろうという話だからある意味西欧で書き言葉を統一しようというほどの大変な作業だったのかもしれない。明らかに関西弁はスペイン語とイタリア語ほど違う。東北弁はフランス語並み。」
うん。書き言葉の統一は難航したらしいよ。明治の初期は緊急に共通語が必要だったから新聞も話し言葉に近い言葉で書くとか言文一致運動ブームだったけど、明治10年以降はやっぱり格調深い文語体の方がいいということで、新聞も文語体に戻ったよ。次第次第に話し言葉に近い書き方の文学が出て来たりしたけど、森鴎外みたいな文語調の格式高い文体も好まれたし、なかなか口語体が文語体を駆逐するには至らないのです。
1900年の小学校令で、これまでたくさんの異字体があったひらがなやカタカナが一音一字に統一されたり話し言葉風になったりで次第に話し言葉が普及したのです。
「普通文というのは、明治時代の単語や言い回しもあるけど、漢字カナ混じり体の文語文だったり。でも新聞でも軍隊でも公文書でも結構良くつかわれるメジャーなフォーマット。」
ええと、新聞が口語体になったのは1922年~1923年だよ。さらにお役所の公文書となると1945年の敗戦を待たなければならないのです。文章と言うのは話し言葉より保守的で、変わるのには長い時間がかかるよ。
ルニたちも「拉致」を「ら致」としたり、「誹謗中傷」を「ひぼう中傷」とかくようなカナ混じりの熟語は書くつもりはないよ。新聞では広まってるけど、やっぱり格調として抵抗感があるよ。
「国もまた世界の縮図。だから人工言語運動の行く末もこういう国民国家ができて緊急に共通語が必要になった時どう対応して、どれが現実的だったのかと言うことが分かれば、おのずと分かることと言う気がした。一つの国、一つの村、一つの学校ぐらいの単位で定着できない限り、全世界に根付かせることもまた不可能と言うことか。結局のところ、どこでも多数派、または教養と権威のある階層の中の多数派の言葉が共通語になると言うのは変わらないのかもしれない。ヘブライ語みたいにもともと宗教的に結束していて、古典ヘブライ語という共通の文語を持っている言語バラバラの集団なら、新規に作成した人工言語でも受け入れられるけど、もともと聞き慣れない言葉だと難しいと思う。普及要件として「既に教養も権力もある階層に広く広まっている」と言うのがないと厳しい。」
家族に普及できなく、近所にも普及できなければ…………だね。
あと、イエス=キリストの話で思ったけど、「預言者は故郷では受け入れられない」と言うのがあるから、場所を移せばあるいは、というのはあるよ。預言者は昔の自分を知る人にはありがたがられないよ。あまりにも卑近な人間じみた点を多く知っている人間は、神格化しないのです。
ルニは、ザメンホフもベン=イェフダーも伝記を読んだ上で、信仰の対象にはしないよ。伝記で生い立ちと生きざまを知れば、あくまでも一人の人間であり、すごい人ではあるけど神ではないよ。偉業もあるけど欠点の目立つ人たちなのです。
ええと、最後にこれだけ頑張って言文一致運動をして作った貴重な日本語なんだから、大切に使おう、つまり話し言葉の変化をいさめるような締め方で終えているけど、言語学的には無理な話だよね…………。言語は絶えず変化するのです。とくに話し言葉は形に残りにくいから常に揺れ動くのです。諸行無常、一切皆苦なのです。世の中に完全なものなんてないから、常に移り変わるのです。ほんの20年ちょっと、ルニたちにとってはたった3年ぐらいしか関わっていない人工言語アルカを見ての結論だよ。エスペラントだって、時代ごとコミュニティーごとに語彙レベル・語法レベルでは毎年変化しているんじゃないかな。もちろんラテン語やサンスクリッド語のような母語としての話者を失くした死語なら変化の仕様がないのです。言葉は生き物だから新陳代謝するよ。
そして、死なぬ人間、滅びぬ国がないように、滅びない言葉もまた存在しないのです。日本語だって、いつかは東ゴート語みたいに忘却の彼方の古代言語になるよ。
「滅びぬ種族、滅びぬ星もまたなしと。いつかはなくなるのは仕方ないとして、言文一致の現実的手段として、100年か50年に一度ぐらいは現状に合わせて書き言葉の文法とか用法とか、記述形式を実態に合わせる改革をするのが現実的かもなぁ。言語学の世界では話し言葉を書き言葉に沿ったものに変えるのは至難の業で、書き言葉を改革した方がはるかに楽。いまさら「いみじうあはれなり」とか「いとをかし」とか平安時代の発音で話したくないし。日本語の乱れというのは実際にはなくて、あるのはただ変化のみだし、古代の大変動と比べれば今起こっている変化は遥かに低レベル。」
でも、老人は新しい言い回しを覚えるのは至難の業だし………、世代間コミュニケーションの阻害に危機感を感じるのは仕方ないかな。